認知療法-モノの見方の成熟度

認知→情緒(感情)

情緒の安定は、目標達成や自己実現において、きっと重要だと思う。あるベンチャーキャピタリストは、創業者の資質を見る際に、情緒の安定度合いを評価軸として入れているほどだ。

情緒は認知による結果であるため、認知を成熟させていくことで情緒が安定するという見方ができるようだ。

未熟なモノの見方

  • 「ゼロイチ・白黒」
  • 「過度の一般化」
  • 「結論の飛躍」
  • 「感情的な決めつけ」
  • 「ネガティブ思考」
  • 「すべき思考」

これらは全て未熟なモノの見方のようだ。まず白か黒か、どの範囲まで同じ色か(ケースバイケースを嫌がる)、などを断定しがちな傾向がある。

聞き手も断定してほしがるから、やむを得ず断定してることも多いかもしれない。また、合理的と言えない論理で結論が導かれていたり、極端に負の側面だけを重んじていたりという傾向もある。

なぜ、未熟な思考をしてしまうのか

ある問いに対して、必ず結論を明確にしなければならないような時を除いて、様々な結論の可能性を残しておき、慌てて結論に飛びつかない姿勢が「成熟しているモノの見方」のようだ。

なぜそうなるかというと、一度結論づけてしまえば、時間や脳の容量を割かなくてよくなる。つまり、ラクだからではないだろうか

うやむやが実はいい

さて、自分のモノの見方をコントロールするためには、管理のしやすい言葉から入ることが有効そうだ。「~すべき」ではなく「~するに越したことがない」。「すべき」という言葉は断定的かつ価値判断が含まれるので、成熟度が低いらしい。

必須でない限り断定表現を避けて、「きっと~だ」「~かもしれない」「8割方~だと思う」。ここぞという場面でのみ、断定表現をぶちかますのがいいのかもしれない。この記事でも、極端に曖昧表現を使ってみた(下線部)。

論理的思考の訓練が効果的

論理的思考の中には、結論の可能性を洗い出す作業がある。例えば、「もし~でなかったら何がありうるか」と自問することで、解の幅を広げていく作業だ。

認知行動療法の説明の例で、よく見るのが、「すれ違った同僚に挨拶をした際に無視された」という現象をどう捉えるかという話だ。

成熟度の低い人は、「私は嫌われている」「無視するなんて失礼な性格だ」などと思い、他人にアドバイスされるまで他の可能性を検討しようともしない。

一方で、成熟度の高い人は、もちろん人間なので上のことも頭によぎるものの、「でも待てよ。考え事してて聞こえてなかったんじゃないか」「(聞こえたものの)身内に不幸があって動揺して余裕がなかったのでは」などと考える。

または、ユーモアを加えて、「私のことが好きすぎて緊張して見ることも声をだすこともできなかったのでは」などと考え、それを妄想ストーリーとして周囲に話すことで笑いに変えてしまうなどだ。

2,3個の可能性をだせれば、偏った捉え方によって感情に自らの行動を支配されることがきっと減るはずだ。

慌てて結論にジャンプすることも、論理的思考を鍛えると少なくなる。合理的な筋道なのか自問することで無理矢理な結論づけに気がつけるからだ。

簡単には結論づけられない事もある

こういうのは、なんだかとても面倒なのだが、すべての問いに唯一の解があるわけではないし、物事は様々な捉え方ができるし、良い面悪い面の両面がある。

安易に結論づける気持ちよさを我慢することが最もタフなのかもしれない。というのも、人はストレスから開放する手段がわかると、一刻もはやく解消したがる性質があるからだ。

そのタイムラグに耐えられない人(満足遅延耐性が低い人)が、スマートフォンゲームに課金をし(何かに依存をし)、努力が続かずに挫折するのではないだろうか

あらゆるカテゴリで、即効性が重要な商品購買要因になるのも頷ける。

蛇足だが、教育現場では満足遅延耐性と学校の成績に相関があることを受けて、満足遅延耐性をつける方法を模索していると聞いたことがある。

結論づけると頑固になりがち

人は否定されたくない生き物。だから、結論づけてしまうと、否定されたり、異なる意見をぶつけられたときに感情に支配されてしまう。

人の意見を受け入れづらくなったりもする。さらに、人とぶつかることは情緒の安定を阻害する要因になってしまう。

したがって、確率論的に結論づけるといいのかもしれない。例えば、8割方こう思うと言うようにしたり、私の仮説ではと前置きするなど。

中庸を大事に

うやむやにするというと、たいていネガティブな側面を見られる事が多いが、今回見たように実はポジティブな側面も見ることができるのだ。

もっと言うと、うやむやにしておくと、幅広く検討を継続しなければいけなくなるため、実はタフなのだ。

このようなバランスのとれた姿勢は、コンサルタントに求められるプロフェッショナルな姿勢でもあると思う。というわけで、しばらく極端に言葉遣いを変えてみようと思う。

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