なぜ新入りは雑巾がけをするのか?

雑巾がけとは

寺に修行に行くと、必ず雑巾がけを命じられます。

今日考える雑巾がけとは、比喩的な意味で、

人より優れた能力を持たない新入りが任される退屈な仕事のことです。

たいてい意味もわからず、やることを求められますが、僕は理由をわかってやるべきだと思います。

というわけで、意味を考えてみます。

なぜ雑巾がけをするのか

合理的な理由がないならやめたほうがいいと思いますが、

一理あるなという仮説が見つかりました。

雑巾がけは、

すぐに達成感を味わえず、

いつくるかわからない次のステップを夢見て、

目の前の任されたことに自分で意味を見出して、

プロセスを楽しむ練習なのです。

すぐに達成できないことに向かってコツコツ努力する能力は、

何を達成するにしても大切なことです。

コツコツ努力するために、目の前のことに自分で意味を見出し、プロセスを楽しむのです。

ただこれらは、目標を立てて努力をすれば、もっと楽しいことをやっても身につけられます。

なぜわざわざ雑巾がけなのでしょうか。

それは、普通の人なら雑巾がけに意義や楽しさを見いだせないからです。

そう、あえての雑巾がけなんです。

社会人の場合は、ホワイトカラーであれば、雑巾がけよりも遥かに意義を見出しやすいことが多いはずです。

それでも、なかなか難しいですけどね。

楽しく生きるには、主体的になんでもコントロールする、という心意気でいるしかないんです。

将来使えるかわからない、という論点は不要で、将来活かすんです。

逃げ恥でも、「運命の人なんていない。 運命の人にするんだよ」ってセリフがありましたね。

河野悦子も、校閲の仕事がファッション雑誌の編集にめちゃくちゃ活きるってイキイキしてましたね。

ドラマもぼーっと観てるのではなく、しっかり学んでいかないと時間が無駄になってしまいます。

エモーショナルな楽しみだけでなく、メッセージが深いドラマが最近多いです。

というか、自分が気づくようになったのかもしれません。

ゆとりですがなにか、が深すぎるので最もおすすめです。

最後脱線しまくりましたが、以上です。